空き家という感情のジェットコースター
空き家は、ひとことで言えば「空いている家」だ。けれど実際は、空いていない。むしろ満ちている。生活が抜けたぶん、記憶が濃くなる。音が減るぶん、感情が響く。
外から見ると整っている。塀があって、庭木があって、屋根があって、窓がある。人は言う。「まだ大丈夫そうだね。」でも中に入ると、質の違う静けさが立ち上がる。冷蔵庫の低い唸りも、テレビの気配もない家は、こちらの心拍を目立たせる。
だから揺れる。懐かしさと罪悪感。安心と怖さ。守りたい気持ちと、手放したい気持ち。両方が同時に存在する。空き家は建物である前に、波になる。
そして、この波は家族全員に同じようには届かない。距離や役割の違いで、受け取る痛みも違う。誰かには日々の負担として、誰かには「できていない自分」への責めとして、誰かにはただの遠い景色として届く。
それでも、共通点がある。空き家は、家族の関係を照らす鏡になる。誰が来たのか。誰が働いたのか。誰が離れたのか。誰が守ったのか。そんな見えない点数表が、いつの間にか頭の中で作られてしまう。
登場人物は五人いる。八十五歳の母。母と新しい家で暮らす二人の姉。横浜に住む妹。カリフォルニアに住む智子。そして、外側からこの家族に入ってきた「ガイジン」が一人。
同じ家を見ていても、見える風景は違う。ここから先は、五つの視点で同じ家を見ていく。