扉を開ける前
道から見る家は静かだった。
まだそのままにしておけそうなほど静かで、見て見ぬふりもできてしまいそうなほど静かだった。
けれど、静かな家が穏やかな家とは限らない。
草は伸びる。季節は過ぎる。雪は山に積もり、またほどける。そういうことだけは、誰が見ていなくても進んでいく。 花咲の家も、外から見ればただそこにあった。傾いているようにも見えないし、今にも崩れそうというほどでもない。 だから余計に、先へ延ばせた。来月でもいい、今度帰ったときでもいい、もう少ししてからでもいい。 そうやって後ろへ送られてきた時間が、家のまわりにたまっていた。
家のことが話に出るたび、電話の向こうに少し間ができた。近くにいる者には負担があり、離れている者には後ろめたさがあった。 何とかしなければと思う者には苛立ちがあり、まだそう簡単には片づけたくない者には、言い切れない気持ちが残っていた。 それぞれの思いは違っていたのに、話しはじめると、どこかでみんな口が重くなった。
まだ誰も、この家を物語と呼べるほど深くは入っていなかった。部屋はまだあり、物もまだあり、蔵も口を閉じたままだった。 先にあったのは発見ではない。重さだった。片づけなければならない気持ち。先延ばしにしてきた年月。 近所に見られているような気まずさ。自分の家なのに、どこから手をつけていいのかわからない感じ。 家は黙っていたが、その黙り方ひとつで、人のほうが落ち着かなくなった。
Uchi が本になる前に、家はもう家族の中で厄介なものになっていた。花咲の古い家は、まず外から感じられていた。 道から見える草、閉まったままの雨戸、久しぶりに名前が出たときの電話口の沈黙、 近くに住む者だけが引き受けている気配、遠くにいる者が簡単には口を出せない感じ。 部屋はまだあった。物もまだあった。けれど家族が最初に受け取ったのは、懐かしさでも、美しさでもなかった。重さだった。
古い家というものは、入って初めて始まるわけではない。入る前から、もう人の中で始まっている。 あの家、どうするの、と誰かが言う。そうだね、と返す。そこで話が続くこともあれば、続かないこともある。 続かなかった会話のぶんだけ、家は少しずつ重くなる。すぐ近くに住んでいる人には、その重さが日々の景色に混じる。 遠くにいる人には、気になっても手を出しにくいものになる。口を出せば無責任になりそうで、黙っていればなお悪い気もする。 家は黙っているのに、家の話になると人のほうが困る。そういう時間が、もう長く続いていた。
しかも、ひとつの家なのに、見え方はひとつではなかった。みっともないと思う者がいる。気の毒だと思う者がいる。 急いだほうがいいと思う者がいる。簡単には動かせないと思う者がいる。どれも少しずつ本当で、どれも少しずつ足りない。 誰かが悪いというほど単純でもなく、誰も悪くないで済ませられるほど軽くもない。そういうものが、ずっとそこにあった。
物語は、家を理解したところから始まったのではない。
もう見ないふりができなくなったところから始まった。
外から見れば、ただ草が伸びているだけに見える。けれど本当は、草だけではない。 門の前で少し足が止まること、玄関までの短い道が妙に長く感じること、鍵を回す前からもう疲れたような気持ちになること。 そういうものが先にあった。蔵はまだ開かない。欄間も外れない。屏風もまだ広げられない。 それでも、もう始まっていた。
空き家なのに、空ではなかった。暮らしの音はもうないのに、家の力はまだ抜けていなかった。 片づけていない時間、触れたくない気持ち、まだ終わっていない家族の事情が、目には見えないまま残っていた。 雨の日にはますます近づきにくく見え、晴れた日には晴れた日で、こんな日に放っておくのかという気持ちが出た。 家はそこにあるだけなのに、人のほうが勝手に責められたような気持ちになることがある。
最初に必要だったのは、立派な解釈ではなかった。ただ家の前に立つことだった。草を見ること。道を見ること。 玄関を見ること。まだ何も整理されていない部屋の光を見ること。そこからしか始まらない話がある。 急いで意味をつけると、こぼれてしまうものがある。古い家には、説明を急ぐと見えなくなるものがある。
扉の前まで来るのにも、時間がかかった。家はずっとそこにあったのに、人のほうがなかなかそこまで来られなかった。
まず空き家がある。次に、ひとつの家の中で割れていた気持ちがある。そのあとで、 ただ草ぼうぼうに見えていたものが、ただの草ではなかったことがわかってくる。そこからようやく、もっと古い話が始まる。
家は、まだ誰も読み方を知らないうちから、そこに立っていた。
それから、扉が開いた。